今年も終わりです。

今年も終わりに近づいてきていますが皆さんにとってどんな一年でしたか? 冴樹の周囲は自分自身も含めあまりいい話は聞きませんでした。 年齢的な物なのかそう言う時期なのかは分かりませんが、とかく暗い話題が多かったですね。 冴樹もそうですが、地元の高校時代からの友人はいきなり勤め先が倒産しその上、次の職が決まっていたにもかかわらず業務開始前日に全ての話が白紙に戻ってしまったなんて事も・・・。 
冴樹も今年は一年下ばかり見ていたような気がします。 いや、気がするじゃなくて事実でしょうね。 自分のことすらままならない上にいろんな事が先に進まない苛々と時間経過と現実生活という否応無いものに追い立てられだんだんと無い余裕が更になくなっていくのがよく分かりました。 そうなると、日常生活も苛々してしまいほんの些細なことでも眉間に皺が寄る。 苛っ!としてしまう。 そんな自分がどうも許せなくなっていく。 そうすると、更にそんな自分に苛々は更に募るという悪循環。 その上、やっと落ち着けると思った年末も振り出しに戻りそうな予感です。 どこまで行くんだ・・・私は。 来年こそはとは思えども、いろんな事に踏ん切りが付きません。 未だ付かない。 最終的に其れを決断する時って言うのは今の自分の全てを捨てなければならない事と等価だと思います。 仕事への拘りも、日常生活も、プライベートも、価値観もプライドも何もかも。 今までの生活全てを捨てなければならないと思われます。 そうでもしないと、脱し得ない。 でも、その決断は出来ないよ・・・だって、又間違っていたとしたら今度こそ全てを無くすんですよ・・・。 もう、十分です。 周囲から必要とされていない生活ほど虚しい物はない。 居ても居なくても同じです。 今は何処にいても。 自分の存在が希薄。 アテにされないと人は原動力を無くす。 それは、大学病院時代さんざん味わったというのに又同じ轍を踏まなければならないとは。 なんとも、成長しない人間ですな・・・。


一昨年の年末から今年一年にかけてひしひしと感じたこと。 世の中も、社会も、世界もそんなに甘くない。 考えているほど甘いモンじゃない。 それどころか、如何に自分に損がないようにするかそのためには手段も選んでなんか居られない。 そんなことを感じます。 資本主義である以上儲けがないと運営がままならないことも分かります。 それでも、そこに”人”を感じることが出来ませんでした。 ほんの些細なことなのだけれども、上から目線なんですよね、どこもかしこも。 言いにくい事だとしても、面倒くさいことだとしても、最後の責任は果たして欲しいと思った。 大企業の求人に数百人の応募が来ているわけでもなくたかだか数十名の応募結果に対して返答すらしないのは会社が返事をしないのとは違うと思うのです。 コレは、冴樹の我が儘ですか? 買い手市場なんてこんな物ですね。


今年の頭も、今年こそはと思った物です。 それでも、何ら変化なく過ぎ去った一年。 何も変わらなければ何も進展しない。 もう、何を選択しても悪い結果しか今は見えない。 だから、選べないんだ。

そんな一年。
もう二度と経験したくないと思いながら来年もまだまだ続いていきそうな気配があることが、今の冴樹の苛々とストレスの原因であることは言うまでもないかな〜・・・。


それでは、今年はこれにて。
皆様良いお年をお迎え下さい。